天網恢恢〜気持ちが萎えた日〜

芋を塩水で洗う猿たちの話みたいに、文化は各地で同時多発的に発生するらしい。
それとは別に、ある地点から伝播する文化はその通ってきた道筋が見えてたりする。


堅苦しく始めてしまったが、要はあまりにもあからさまなのを見て開いた口が塞がらなかった、という話。


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「フェルトのミニチュア」という分野が盛り上がればそれは嬉しいのだが…
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作品をweb上で発表するのは、こういう分野の物もあるということを多くの人に知ってもらいたい、楽しんでもらいたいという思いがある。
当然不特定多数の方に見られるので、自分の作品が他の作り手の参考になるだろう事は念頭においている。
こんな作品を作ってみたい、と思ってもらえるなら嬉しいのだ。真似たくなるほどの物を作ることが出来たんだなぁ、と思えるから。
誰でも最初は真似をして作り方を学び、そこに自分の創造性を加えることで「本当に自分だけの物」を作ることが出来るようになると思う。
大げさと思われるだろうが、私の作品が何かのきっかけになり「フェルトのミニチュア」という分野が盛り上がっていくなら、それはとても嬉しい事だ。

しかし「参考」どころか、自分の作品がそのままの形で別人の作品として発表される事になろうとは…。

何も「フェルトのミニチュア」が自分だけのものと言っている訳ではない。
フェルトで作るミニチュアは決して特殊なものでもないし、誰でも作ることが出来るものだから。
そもそもミニチュア作品は実物の模倣だ。1個のミニチュアに個性を出すのは難しい。
1つのテーマに沿って作れば偶然似た物が出来たという場合も有るだろう。
しかし、複数のミニチュアを組み合わせて1つの世界として完成させた作品は個性や創造性を持った著作物だ。それを、そっくりそのまま当然のように使われるというのは我慢できない。
模倣にその人独自の創造性(改良)が有ってこそ文化は発展していくものだ。
   (フェルトのミニチュアを文化と呼ぶには大げさ?)
ただ真似(模倣)をして色を変えただけ(そこに創造性は無い)の物を、あたかも自分のオリジナル作品として発表するのは止めて欲しい。


  面白そうだ、この作品作ってみよう、
  あら、意外と簡単に出来ちゃった
  みんな、見て見て、すごいでしょう!

彼の人は、そんな軽い気持ちでweb上に作品を発表したのだろう。
誰でもブログ等で簡単に情報を発信できる現在、それが公の目に触れるという意識も希薄なのか。いや、見られるのは充分意識している。希薄なのは著作権に対する意識だな。
著作権に無頓着な人もいるという事実。
その事実を目にするたび気持ちが萎えてしまう。

  常識、罪悪感の欠如
  知らずにやっているなら救いようがない。
  知っててやってるんなら始末に終えない。

「著作権」についてはこちらへ→(社)著作権情報センター



……、

こういう文章を書くことすら悲しくなってきた。



2008/04/09|←前へコラム|次へ→|

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